子の言い分・親の言い分

30歳以上でひきこもりが長くて社会参加ができない本人、及びそういった状態の子供を持つご家族を対象に「支援」についての話し合いの場を持ちました。

20人くらい集まって下さり、それぞれの立場で様々なな意見や希望や考えが飛び交いました。

 

もちろんお互い他人同志で、子の立場の者と親の立場の者の集まりですが、だんだんそれぞれが自分の親に伝えたかったこと…、解ってもらいたかったこと…。

今、ひきこもっている自分の子供に伝えたいこと…、聞きたいこと…、を自分の子供、自分の親の代わりになって話す場になっていきました。

 

「息子は何で自分の思ってる事を私たちに話してくれないんだろうか?」

「黙っていないで何でも話してほしい、話してくれなければどうしていいのか解らない…」という60代の親たち。

 

「子供の時から何をしても親に否定ばかりされてきた…。」

「親には何を言っても受け入れてもらえなかった、今更話す気にもなれない、また否定される…。」という30代の子たち。

 

「そんなことはない、今ならどんなことでも受け入れる…。」

「だから、黙って何年もひこもっていないで考えていることを全部話してほしい…。」と他人の子に訴える親たち。

 

「言いたい時もあった、叫びたい時もあった、だけど年老いた親にはもう言えない。今、言えば親が壊れてしまうのが分かるから…」と子供。

親の会や、相談会、偉い先生の講演会…、とよい話があればどこにでもでかけて話を聞きに行き、どうしたら社会に出てくれるのだろ?

どうしたら働いてくれるのだろうと何年も何年も動き回り、子供を理解しようとして求め続けている親がいる。

 

子供の状態をどうしても受け入れられなくて、どうしても理解できなくて、けっして認めたくなくて。だから親の会や、講演会や相談会に出向いて学ぶのが怖くて行けない親がいる。

 

前者の親を持つ子供たちは、受け入れてくれようとしている家庭の中にいてなかなかどこにも出て行けない子が多い。

それに対して後者の親を持つ子供たちは、苦しくて受け入れてくれる場を求めてフリースペースなどに結構出てこれる。

 

そうやって出てこれた子供たちと、子供が動かなくて一生懸命学ぼうと動いておられる親たちがひとつの場で、自分の親や自分の子供に直接言えないことを、一生懸命伝えあっている。

 

何ともいえない不思議な状況に胸が詰まる思いでした。

どうしたら学校に行けるのだろう?

毎日寒いですね。

冬の後には必ず暖かい春が来て、町中きれいな桜で満開になることを誰もが知っているけれど。

毎日毎日あまり寒い日が続くと暖かい春が来ることが想像つかなくて、寒いね、寒いね、を繰り返しているのが私たちですよね。

毎年今頃は不登校の本人も家族も不安定な時期です。

季節が春にむかっているからといって本人の内面が充実しているとは限らないのに、世の中的にはいやおう無しに春からの居場所を考えなくてはいけない時…。

そんな感じでしょうか?

何とか新学期を機会に学校に行ってほしい親。今の状態を変えなくては…何とかしなければ…と思いながらも大きな不安と闘っている子供。

中学で不登校だったけど高校に行って新しい居場所を作ろうと思っている子供をたくさん見ています。学校に行けるだろうか?友達ができるだろうか?いやな先生はいないだろうか?…と考えだしたらきりがない。

年末に向かって新しい世界を想像して前向きに考えていたのに、年が明けてカウントダウンになってくるとマイナスのイメージが一つ二つと湧き出てくる。

家庭教師をつけてがんばって勉強してして受験の準備を万全にしてきたのに、ぎりぎりになって願書を出さなかったり、試験を受けに行かなかったり、そんな子供たちも少なくない。

親はがっかり…、本人はほっとする…。

本当のところはまだ、学校へ行く自信がないのかもしれません。

最近、ある行政機関の方にどうしたら不登校の子供を学校に繋げられるのでしょう?と聞かれました。

学校も社会です。勉強して合格しても、それだけではないのでしょう。

毎日学校まで行くエネルギーがいります。人に対する安心感や、人との距離感、自分の気持ちを表現する力、そういった諸々の人間関係をつくる力や、物事に対応する力、そういったものをすべて含めた社会参加をする力…そういうものが必要になってきます。

人は誰でも楽しいところへは行きたいけれど、居心地の悪い疲れる所へは行きたくないですよね。

じゃあどうすれば、春までにその力が身につくのでしょうか?と聞かれますが、春までにはともかくとして

私たちは長年メンタルフレンドという形で同世代体験を重ねる取り組みをしてきました。時間をかけてゆっくり体験の中で培っていく力だと思っています。

「どうしたら学校へ行けるんだろう」はだれもが知りたい究極のテーマです.

いきなり大きなテーマですが、今度みんなで話し合う場を作って若者たちと考えてみようと思います。

皆様はどう思われますか?

トカネットメンタルフレンド学習交流会

今年初めての「メンタルフレンド・サポーター学習交流会」をしました。

大学生が試験中だったのと、臨床心理士の先生がインフルエンザで欠席されましたが、それでも全員で8人そろい、かなり濃い内容の話ができた学習会でした。

 

個々のサポートについて困っている点、こんなふうに関わってみたら良い方向に変化した・・・などをみんなで話し合い、情報の共有をしました。

アスペルガーの子供の対応については、一般通念的に気になる行動に関して注意をしていいのか?

どのような伝え方が適切なのかなど質問がでて、参加者の中の心理の専門家から、否定せずにその都度きちんと説明をしていく事の大切さの指導を受けた。

 

この時期進学・進級の問題が多く、親の希望と子供本人の考えが違っていて、真ん中にいるメンタルフレンドは立場的に非常にやりづらいという意見もあった。

 

親が子供の気持ちをきちんと聞いてあげてほしいと思うけど、子供側も親に聞かれてちゃんと答えられない現状がある。

子供自身がどうしていいのか、何がしたいのか分からないから答えられないというところだと思う。

 

自分の感情を出すこと。こうしたい。あれがほしい、それはいやだ…。ちょっと待って…。

こういった感情を安心して出していくこと。それが子供たちのテーマだと思う。

 

そして、それを受け止めていくことがトカネットのメンタルフレンドの役割だと痛感。

今日は大学生・社会人・トカネットOB・心理学の大学講師の構成だったが、それぞれが自分が「落ち込んだ時」に自分にどんな処方箋をだすかで盛り上がった。

 

みんな悩んでいて、みんな自分のバランスを保つのに一生懸命工夫しているのを確認し合って、少し安心して終了。

ブログデビュー

皆様大変お待たせしました!!

今日から『メンタルフレンドトカネット・ひとりごと』というタイトルでブログを始める事になりました。

 

昨年の暮れに念願の「ソニーのVAIO・Sシリーズ」というノートパソコンを購入したことで、いつでもどこでもちょっと気楽に「ひとりごと」が書けるようになりました。

 

今日は初日なので、まずはトカネットが何をしている団体かをご存じない方々のために簡単に説明しますね。

 

トカネットは1998年から「メンタルフレンド」として不登校・ひきこもりの人たちに「訪問支援活動」をしています。

今年でもう13年です。

 

13年の間に本当にたくさんの方々と出会い、語り、学び、そこで社会参加について考え、支援団体としての活動を続けてきました。

なぜ、「メンタルフレンド」なのかっていいますと、「社会参加の原点は人間関係」だと思うからです。

当然ながら、どうしたら学校へいけますか?どうしたら働けますか?せめてバイトでも・・・。

どうしたら・・・。がご家族の皆様の切実な思いですよね。

 

どうしたら?の答えを探していくと、いつも学校や職場は勉強や仕事をする場所だけれど、その前にそこで人とちゃんと関われているんだろうか?

自分の気持ちをいつも我慢していないだろか?友達はいるんだろうか?

そこに自分の居場所があるだろうか?

に行き着いてしまうのです。

 

学校も職場も、友達関係も、地域のつながりも、お店に入って店員さんに話しかけることも、朝、道端で隣のおばちゃんにおはようございますって声かけることも、全部含めて社会参加で、その社会参加の原点はやっぱり「人と関わる力」です。

そこらへんに自信のない子たちが多いような気がするのです。

 

幼稚園・小学校・中学校・・・と本当の意味での友達体験ができたのだろうか?

そこに本当に居場所があったのだろうか?

 

年齢相応の社会経験がなされて、相応の社会性や折り合いをつける力、しいては生きていく力が育っているだろうか?

外では、いつも、いつも自分の気持ちを我慢して「いい子」を演じてなかっただろうか?

「長い間よく頑張ったね」って抱きしめてあげると、今までの思いがいっぺんに吹き出して泣き出してしまう子供たちをたくさん見てきました。

 

「メンタルフレンド」との関わりの中で、希薄だった同世代体験をやり直して、自己確認作業をしています。

まずは安心して自分の感情を人に伝えることができたらいいなと思います。

 

そんな活動を13年間やってきて、日常的に感じるひとりごとを「メンタルフレンドトカネット・ひとりごと」としてつぶやいていこうと思います。

読んでくださる皆様と何か少しでも「思いの共有」ができれば嬉しく思います。

1 9 10 11