田舎で暮せる?

定年後に田舎でのんびり暮したいとか、ひきこもりの支援などでも「農業体験」「田舎で暮そう」という言葉を耳にします。

自然の中で、生きている喜びを感じながら暮らしてみようという事なのだと思う。

私は今、帰省で愛知県の田舎におります。
朝はウグイスの声で目が覚めて、一日中コオロギとセミの声がBGM。

家の前は、海。
裏は、山。
夜は、手が届くような星空・・・。

確かに疲れた心の癒しには最適の環境で、私も随分恩恵を受けています。

しかし、お盆の行事などで親戚の人たちやお寺、地域の人たちと毎日のように会っていますと、はっきり言って、田舎のコミュニテイは都会のそれより複雑に感じます。

田舎は先祖代々からの繋がりで地域の関係性が出来ていて、常にその繋がりの中に参加していないと、おそらく孤立してしまうような気がします。

もちろん都会でも基本は同じですが、多少距離を置いたり参加しない生き方を選ぶことも出来る環境にあります。

田舎=自然=ストレスが少ない暮らし=人間らしい生き方・・・。
みたいなイメージが独り歩きしていて、
それはおそらく都会でも田舎でもなくて、誰もが思う人の心の中にある理想郷のようなものの表現のひとつであって、その中に「人間関係」というものが含まれていないことにふと気づきました。

ケータイがない!!

今日から夏休み。

お盆で田舎に帰省することになりました。

昨日まで、家族サポート研修や不登校のご相談など予定がつまっていて、帰省の荷物をまとめるのに今朝までかかってしまいました。

慌ただしく家を出て東京駅から新幹線に乗り、「お盆なのに座れた!!」と喜んでいたのも束の間。

手を入れたバックの中に違和感が・・・。

「ケータイがない!!」

朝、用事で人に電話をして、そのままテーブルの上に置いてきてしまった。
顔面、蒼白。

これから1週間、ケータイがない!!

○あの人に返信をしてなかったのでは・・・。
○仕事のあの件で、メールが来ているかもしれない・・・。
○何か緊急な事が起きて、誰かが困らないだろうか・・・。

などなど、どっーと不安が押し寄せてくる。

いつも何気なく持っているケータイが、手の中にない「不安」。
社会の中でどこかの誰かといつも繋がっている「安心感」が、ケータイがないだけでこんなにも崩れる。

これから1週間、大丈夫だろうか?
と、しばらく落ち込む。

東海道新幹線こだま号が東京を出て、小田原あたりまでドーンと落ち込んでいたのですが、東京を出てからだんだん田園風景になっていく車窓を見ていて、少しずつ気持ちに変化が・・・。

たいした事じゃないよね。
1週間ケータイがなくたって・・・。

世間も盆休み。私のケータイに用事はないはず。

こうなったら、ケータイに縛られない生活を楽しんでみようじゃないの。
ケータイなんかもういらない・・・。

こまめにメールチェックをしていた時間を、ゆっくり母と話をしよう。
夕方涼しくなったら浜辺を散歩して、波の音を聞いてみよう。

こんな風に自分を縛っているものからひとつひとつ解放されて、心が心地良いと思うことを増やしていけたらいいですね。

障害?それとも個性?

私は現在、葛飾区区民大学の実行委員会のメンバーになっています。

忙しくてあまりお手伝いができていないので申し訳ないのですが、さる7月25日(水)にテレビや雑誌などで有名な精神科医の「香山リカ」先生を講師にお呼びして、「学校が苦しい子供たち」というテーマで講演をしていただきました。

今の子供たちの生き苦しさを精神科医という視点から話をしてくださいました。

最後に余談として話された内容がとても印象に残り共感できました。

ご自身が何十年ぶりに北海道の出身中学の同窓会に出られた時の話です。何十年も同窓会に出ていないので、記憶にある同級生は中学生の時のままです。

精神科医という仕事柄、あの子ははとても落ち着きがなかったから今の時代ならADHD(注意欠陥・多動性)って診断されていたかも知れないなあ。

あの子は特定の教科だけ全くできなかったからLD(学習障害)だったのかもしれないし、あの子はすごい頭がよくて才能があったけど何だかいつもみんなから浮いてて変わっていたから、ひょっとしたらアスペルガー症候群だったんじゃないかな…。と、仕事柄ついつい診断をつけて納得していたけれど。

何十年ぶりに会った彼らは、自分でお店を経営していたり、立派な会社でトップクラスの営業マンになっていたり、結婚して子育てをしてもう孫までいたりして、みんな自分の個性を生かしてイキイキと素敵に成長されて幸せに暮らしておられたそうです。

そこで、安易にパターンに当てはめてしまう事の無意味さを感じたそうです。

今の時代、ちょっと人と違う様子があれば、○○障害などと症状名をつけて分類したがる傾向にあるけれど、障害ととらえるか、個性ととらえて生きていくかで先々どう違うのかが気になるところです。

 

 

ブログ再開…オリンピック・感動

みなさん、毎日暑いですね。

オリンピックは見ていますか?

私は深夜にも関わらず、体操、卓球、バトミントン、マラソン、水泳、シンクロ、そして昨日のなでしこジャパンのサッカーとはまってしまいました。

卓球、バトミントン、ないでしこサッカーは特に、もう、あのぎりぎりの究極の頑張りに鳥肌がたちました。

この一瞬のために彼らはどれだけ練習をしてきたのだろう思うと、勝っても、負けてもただ感動で胸が一杯になってしまいます。

テレビを見ているだけなのに、彼らと一緒になって、「よし、私ももうちょっと頑張ってみるかな!」って気持ちになるのが不思議です。

人の気持ちをを動かすものは、何か大きなエネルギーなのでしょう!

「感動」というものがこれほど人に力を与えてくれるものならば、日常の中での「喜怒哀楽」だって私たちの活動力につながっているはずです。

皆さん、たくさん笑ったり、泣いたりしましょうね(笑)!。

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